「学校へ行こう!2015」を見て、トラウマ再発!居場所がなかった

昨日は祝日でしたが、我が家はやっと今日明日と休みです。
今週は特に夫が疲れていて心配だったので、たくさん寝かせておこうと思います。
私の方は、今日の11:00から美容院でカラーとカットをしてもらいます。
ですが、料金高くて落ち込んでます。

夫は、「生活費に余裕があるうちに行ってきなよ( ´∀`)」と言ってくれるのですが、
申し訳ないなと思います。
でも髪が褪色していて!これでは面接でも悪印象なので、覚悟を決めて行ってきます。

最近は全然ブログ更新できていないのですが、ただ単に家事に追われていたり、
疲れたり軽度のうつで寝込んでいるだけです。
パソコンを開く気力がわかないというか…(´;ω;`)
でも、パソコン大好きです!


昨日、「学校へ行こう!2015」がやっていましたね。
夫と、パークマンサーのところまで見ました。
すごく懐かしいです。
昔は「学校へ行こう!」を見ていないと友達との会話が成り立たないくらいでしたね。

当時は父とチャンネル争いしていたので、あまり見れなかった記憶があります(;´∀`)
父はよく野球を見ていました。
途中で寝ちゃうんですけどね。


でも、「学校へ行こう!」を見ていて、懐かしさだけではない複雑な感情がわいてきました。
中学、高校の頃のトラウマというか…いじめられてた記憶などがフラッシュバックしてきました。

中学のときはなんとか「根暗な優等生」という感じで過ごせていましたが、
高校では、校舎のどこにも私の居場所がありませんでした。

予習復習を一日最低でも4、5時間、できれば6時間はやらないと、授業にはついていけないのですが、
せっかく予習していっても、他のクラスの生徒に「ノート貸して」と言われて戻ってこなかったり、
クラス内でも私のノートをコピーして提出する女子がかなりいて、利用されている感じでした。

外見のことでも、ブスとか一生彼氏できなさそうとか散々言われました。
プールの授業では、私の下着が小学生のようだと言ってからかわれました。
友達がいなくて、お弁当を食べる場所に困り、「あとはトイレしかない」と思うこともありました。
校門の近くの茂みで食べたり、誰もいない美術室で食べたりしていました(笑)

昼休みもやることがないので、校内探索です。
時間をつぶさなくてはいけないので、学校中の石碑を触ったり、
何分で1階から最上階まで上がれるか?ダッシュしたりしていました。
む・な・し・い・・・・。
自分で書いていても、「そりゃあ~病気にもなるさ」と思いました。


だから昨日の「学校へ行こう!」は、複雑な感情とトラウマ再発で、落ちついて見られませんでした。
なるべく中学・高校のことは考えないようにしているんですけどね。
今が幸せなら、いいじゃん!って。

今の時代となると、スマホやSNSがあるから、私のような生徒は余計に生きづらいだろうと思います。
高校生たちには、うつ病や受験ノイローゼになったり、自殺を考える前に、
まずは保健室へ、仮病でもいいから授業を休んで少し保健室の先生と話してみてほしいと切に願います。

タグ:統合失調症 ブログ 学校へ行こう いじめ トラウマ

10年ぶりの再会!ぼっちの記憶がよみがえる

毎日毎日雨ですね。
お腹の辺りに力が入らない感じでシュンとしています。
毎日毎日迷走しています。

土曜日の高校時代の旧友との再会は、結論としてうまくいきました。
久しぶりに会って、たくさん話をして、持ち寄ったお菓子を食べて、笑い合いました。
おもてなし大作戦も成功です。

Mちゃんのご両親の話になり、2人で泣いてしまう場面もありました。
ご夫婦仲良く、見ず知らずの私をずっと案じてくれたMちゃんのお父さんお母さん。

私が送る年賀状が、

「競馬場でバイトはじめました」
「一人暮らししています」
「美術の学校に行きます」
「結婚しました」

などなど、毎年波乱万丈すぎて、皆さんハラハラしていたのだそうです。
実の親でもそんなに心配してくれないのに、Mちゃんが羨ましい。

気にかけてくれていたMちゃんには感謝しているし、友達として尊敬しています。
でも、複雑な気持ちも抱いてしまいます。

頭も良くて、グループでも中心人物で、
薬学部に入り大学院まで出たMちゃん。
仕事が楽しいのが伝わってきて、私も統合失調症になっていなかったら大学くらい行っていたのかな?と思います。

グループの他の子たちの話になり、
早稲田を出て保育士になった子、
丸の内OLを経て玉の輿に乗った小悪魔ちゃん、
保健室の先生になった小動物系の可愛い子、
誰からも頼られる看護師さん、
皆さん手に職をつけて立派な社会人になっているようでした。

高校のときのグループでは、私は一人浮いていて、
今で言う「ぼっち」や「便所飯」を避けるために、仕方なく馴れ合っていたので、
そうだよね、小悪魔ちゃんの結婚式も私だけ呼ばれないよね、
住所も毎年変わったし、アドレス変えて人間関係リセットしてたもんね、仕方ないよね、
なんてひねくれた気持ちになりました。

Mちゃんの次に仲の良かった早稲田の子が、
「さくらちゃんに会ったけど、すごく変わってて誰だかわからなかった!」
「化粧が上手なの!髪も染めてストパーかけて、別人になっちゃった」
と言っていたそうです。

なんか、ショックだな。
当時の私は…高校卒業しても、進学も就職もできる状態になくて、
毎日寝ていたし、週1のデイケアが精一杯で、
メイクもマスカラとグロスしかしてなかったのにな。

それをMちゃんも他の友達も見ているはずなのに、みんな私から離れていって、
私のいないところで笑って…。

卒業してからも、つらかったけど大学のレポート手伝ったよ?
合コンに行くからファッション見てって、アドバイスしたこともあった。
前からの約束も、サークルでバーベキューがあるとかで、いつもドタキャンされた。
予備校のチューターのバイトが忙しい早稲田の子に、「さくらちゃんも少しは働いたら?」となじられたこともあった。
キラキラでリア充なみんなを見ていると死にたくなった…。

私はみんなにとって、一体何だったんだろう?
いてもいなくてもいい存在?
むしろいない方がいい人間?
関わりたくない、頭の狂った人?
都合よく利用できる使い捨ての人間?
低カーストの皆でもいじめられるメンヘラ女?

雨の中Mちゃんを駅まで送って、ぐじゃぐじゃな顔で帰りました。
夜は寝落ちして、うなされました。
寝ながら暴れていたらしいです。
翌日になっても3時間くらい夫に泣きついていました。

人生に勝ち負けはないし、今幸せならそれでいいと思いつつ、
やっぱり悔しくて悲しくて、泣けてしまいます。


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発病当時やっていた習慣。夏目漱石の書き写し

最近、家にばかりいるせいか、過去のことをよく思い出します。
あんまり進歩してないってことなのかな?
そんなことはないだろうけど(・・;)

発病した高校生のころ、一番ショックだったのは字が書けなくなったことでした。
書き初め大会で金賞を取ったりして、美文字にはちょっと自信があったんです。
字が綺麗なのが自分のアイデンティティーの一つになっていました。

でも、統合失調症の薬を飲み始めてから、副作用で手が震えてペンが持てなくなったのです。
今になれば、ああアカシジアだなとわかるのですが、
高校生の頃は、美術部なのに絵も描けないし、
授業中もノートが取れないなんて、すごくショックでした。

「字を書く」という当たり前のこと、今まで当たり前にできていたことが、できなくなってしまったのです。
自信を失ってしまいましたが、何とか書けるようになりたいと、夏目漱石の「坊っちゃん」を大学ノートに書き写す作業を始めました。

書いてるとミミズの這ったような字で嫌になってくるのですが、何とか文庫本の最後のページまで書きました。
ノートは一体何冊になったかな?結構な冊数になりました。

その間、心理カウンセラーさんに毎週書いたノートを見てもらいました。
心理士さんが優しく丸をつけてくれたり、コメントを書いてくれるんです。
なんか小学生みたいですが、嬉しかったです。

今も、自分の納得する字ではありません。
指先に力が入りにくいことでペンの持ち方に変な癖がつき、字が斜めになってしまうんです。
小学生の頃の卒業文集を見たら、12歳の頃の方が字が上手くてびっくりしました(笑)。

でも、「書く」作業ってなぜか心を落ち着かせてくれます。
あとは夏目漱石の言い回しが面白くて、その口調が自分の書く文章にも影響してくる感じで、楽しかったです。

「坊っちゃん」を終えて、「吾輩は猫である」も書きました。
確かその途中でやめてしまったと思います。
でもその頃には、少しバイトをしたりデイケアに出られるようになっていました。
自分には必要なくなったというか、書き写しを卒業したような感じでした。

この前読んだ本にも、脳を活性化させる習慣に「新聞コラムの書き写し」とありました。
お年寄りの認知症予防みたいですが(笑)精神的にやっていて良かったです。

当時のノートは押入れにしまってあって、ささやかな自信に繋がっています。
「進歩していない」なんてことは一切ないんだなぁと、当時を懐かしく思います。

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母の束縛!まったくプライバシーのない子供時代

本日二回目のブログです。

今日はすごくPMSがつらいです。

カーヴィーダンスでもして身体を温めようかな。



高校生~23歳くらいまでの実家暮らしで、まったくプライバシーがなかったことを話してみます。

私の実家は、父が13年前に65歳で建てた一戸建てです。



この家を建てるとき、両親と建築会社の方との話し合いでいろいろ進めていたようですが、

私には自分の希望などを言う隙はありませんでした。

そして、ある日母から、

「アンタの部屋はドアいらないわよね」と唐突に言われました。



これには呆れてポカーンとしてしまいました。

「いらないよね」という前提ですから、母には逆らえません。

一応、「ドアがないって、どういうこと?」と聞きましたが、

「子供が部屋にこもらないようによ。親に隠し事するのはいけないことだから」ということでドアはなくなりました。



ところが、設計士さんが「思春期の高校生の部屋に、ドアがないのは・・・」と意見してくださり、

一応ドアはつきました(笑)。

でも、鍵はないし、常に開けっ放しにするという約束で、です。



実際、小さいころから私にはプライバシーがありませんでした。

家を建てるまでは2Kのアパートだったので、当然子ども部屋もありません。

自分の学習机だけが私のスペースです。







小学生のときは、学習机の引き出しに、友達との交換日記やお絵かき帳、おまじないをした紙を入れたものです。

ですが、それらは必ず母が、私のいないときにチェックしているのです。

日記にしか書いてない内容のことを、なぜか母が知っていたからです。



親に隠し事をするのは罪なのだと思いました。

一度、高校生のときにティーンズラブみたいなちょっと過激な内容の漫画を買ったことがあります。

本屋さんでブックカバーをかけてもらい、試しに本棚に逆さにして立てておきました。

これが元の向きに戻っていたら、母が見つけたということです。



3、4日して確認したら、ちゃんと向きが戻っていました(笑)。

母は私のすべてを監視しているのだ!と無意識に思うようになりました。



こんなこともありました。

小学校のときに、キーホルダー型のテトリスが流行ったのです。

私も買って、家でよく遊んでいました。







母が「そんなものは目が悪くなる。30分にしなさい」と言って、

毎日時間が来ると取り上げて、背の届かないタンスに隠してしまうのでした。

その頃、母は仕事が忙しくて腱鞘炎になっていました。



私が大人になり、母と話していると、

「あの頃は変なゲームのせいでよく手首が痛くなったものだ」という内容のことを言っていました。

「ああ、そうなんだ」と答えましたが、

「私があんなに夢中になっていたテトリスを取り上げ、母の方が長時間やっていたんだ」と、怒りを覚えました。



毒親というのは、決して虐待だけを言うものではないのです。

子供時代に、自分の安心できる居場所がないというのはつらかったです。

暴力や暴言にも匹敵する、じわじわと子供の心を蝕む精神的苦痛でした。

今でもフラッシュバックに悩まされています。





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高校2年で統合失調症発病したころの話 ④

高校卒業と同時に、クリニックのデイケアに通い始めました。
30~40代の患者さんがほとんどで、18歳と言うと珍しがられました。

デイケアでは料理をしたり、アロマテラピーやストレッチ、陶芸、映画鑑賞などをやりました。
ずっと歳の離れた人ばかりで、あまり楽しくはなかったです。

そのうち、宗教の勧誘をする人やからかってくる男性がいたりして、別のデイケアに移りました。

23歳くらいまでデイケアに通いました。
デイケアは独特の雰囲気があり、嫌になることもありましたが、
受け入れてくれる場所という感じで助かりました。
今でもクリニックの待合室でデイケアメンバーに会うとお互いの近況を話します。

21歳のときキャンペーンガールのバイト、
23歳の時コンビニのバイトと夜間の美術学校に行きました。
この頃、私の性格は病前とかなり変わってきました。
笑っていることが多くなり、明るく行動的になりました。

コンビニバイトでは今の夫と出会いました。
夫と付き合うようになり、人生がやっと流れていきました。
実家の束縛でご飯が食べれなくなったとき、夫が吉野家や松屋に連れて行ってくれました。
すごく美味しかった…!

美術学校は志の高い生徒ばかりでした。
夜間なので皆昼間は働いています。
年齢も近い方が多かったです。

私は一生友達なんかできないと思っていましたが、いろんな人に声を掛けられました。
今でも交流のある友人がたくさんできました。
絵を描くのは苦しみも伴いましたが、楽しいこともたくさんありました。

実家では、親に「彼氏を作るなら出て行け!勘当だ!」と言われたので、
一人暮らしを始めました。
親は本当に出て行くとは思わなかったみたい。
24歳で一人暮らしを始めて…アダルトチルドレンにも気付きました。

親の愛はダブルバインドでしたが、夫の愛は無償のものでした。
この頃から、やっと私らしい人生を送れるようになりました。

病気になった頃の私の口癖は、「17年間生きていても何一つ良いことがなかった!どうせこれから先も幸せになんかなれない!」でした。
ですがそんな事はありませんでした。

統合失調症にはとても苦しめられています。
ですが、昔よりたくさんの幸せを感じられる自分になりました。
当たり前のことができること、愛する人がいること、たくさん愛情をもらっていること。

辛いことは多いけど、統合失調症とは人一倍幸せになれる病気だと思います。


★長々と読んでいただき、ありがとうございます★
★病気で苦しんでいる10代の方に、何かお役に立てれば嬉しいです★
★このシリーズはこれで終わりです★

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高校2年で統合失調症発病したころの話 ③

初診だったので、臨床心理士の男性に問診をしてもらいました。
クリニックは、狭いながらも綺麗で居心地のよいところでした。

院長先生と話して、薬をもらいました。
院長先生から担任の先生と親に連絡が行き、一週間後の通院には担任と保健室の先生、母親が来ました。

2年の3学期は全部休むことになりました。
とても学校に行ける状態ではありませんでした。

3学期はほぼ家で寝たきりでした。
いじめた生徒たちも何も感じていなかったと思います。
母はもう高校中退しようと言いましたが、担任がそれはあまりに酷だ、せめて卒業させたいと言ってくれました。

進学校に行ってるというプライドもありました。
大学進学も完全に諦めたわけではありません。
3年次に最低限の単位を取って卒業することになりました。

朝起きれないので、学校に行くのは3時間目くらいからです。
通学中に疲れて道端でしゃがみこんだり、電車を降りて休んだりしました。
学校の先生は優しい人がほとんどでしたが、「我が校の進学実績に泥を塗る」と冷ややかな先生もいました。

先生たちも気を使って、「座って授業を聞いてるだけでいい」と言ってくれたのですが、
それすらできないのです。
椅子に座るとムズムズします。
手が震えてノートが取れません。
先生やクラスメイトが音読していると頭がクラクラしました。
体育はジャージに着替えるだけで良いとなりましたが、着替えすら30分くらいかかりました。

次第に保健室登校になりました。
点呼だけ取り、あとは保健室で寝ているのです。
テストも保健室でやりました。
テストも問題を見ても頭がグルグルして内容がわからず、漢字や英単語だけ答えを書きました。

卒業までとても長く感じました。
毎週学校帰りにクリニックに寄りました。
学校にも家にも居場所がありませんでしたが、クリニックは唯一好きな場所でした。

病気の急性期だったため、すごい量の薬を飲んでいました。
トレドミン、ルーラン、リスパダール、PZC、パキシル、アモキサン…
いろいろ飲みました。

父や母に病気のことを話しても受け入れたくないようで、あまり付き添いはなかったです。
心理士さんや院長先生にいろいろ話しました。

大学進学について、院長先生が、「私立の大学に推薦で入れば、いつでも休学できるしデイケアよりリハビリになりますよ」と言うと、
母が逆上してしまいました。

どこに私立大学なんかに入れる金がある!
もともとうちの娘は大学に行く気なんかない!そうよね?
先生のお宅とは違うんですよ!
それを聞いて、いよいよ大学は諦めることにしました。

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高校2年で統合失調症を発病したころの話②

冬休みが始まった途端、ピーンと張りつめていた糸が切れたように、力がなくなってしまいました。

冬休みの宿題も年賀状配達のバイトもありましたが、何もできません。
また、食欲がなくなり、ほとんど食べなくなっていました。

「どうして私は生まれてきたの」
「お母さんも私が嫌いなんでしょう」
「17年間生きてきて何もいいことがなかった」
「死にたい」
と大声で泣きました。
「精神科に行きたい」と訴えましたが、父も母も許してくれませんでした。

年末年始で病院もやっていません。
オロオロする母と、「病気じゃない、バチが当たったんだ」と言う父。
バチとは反抗期に父と喧嘩してたことです。

宿題も終わらぬまま始業式を迎えました。
始業式が終わった足で、あらかじめ本で調べていた精神科クリニックへ行きました。
それが今も通院しているクリニックです。
学校帰りに通うのにちょうどいいと思い、ここのクリニックにしました。

ごった返す待合室に、制服姿の私が一人。
それでも、精神科に来た!ということだけで少し楽になっていました。

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高校2年で統合失調症を発病したころの話 ①

今回は、少し私が発病した高校2年生(17歳)の頃にさかのぼってお話してみます

私は東京都立の進学校に通っていました。
東大に行く人もちらほらいて、地域ではガリ勉高校として有名でした。

私にはは友達がまったくいませんでした。
高校入学すると茶髪やギャル風の生徒が増えて、馴染めなかったのです。

美術部部活動勉強だけが支えで、便所飯ならぬ美術室飯を一人で食べていました。
勉強を頑張れば頑張るほど、成績が上がりました。
そうなるとクラスメイトたちが、ノートを写させて、答えを教えて、と集まってきます。


女子高生、ミニスカートの謎 / fukapon


一度ノートを貸すとどこの誰が持っているかわからず、試験勉強ができません。
クラスメイトが私のノートをコピーして提出するので、
私が先生に怒られることもありました。

クラスメイトは私のことを「金魚のフン」と言っていました。
「山田花子にそっくりだね!」と容姿をからかわれたりしました。(似ていないと思います)
軽度のいじめがありました。


Tokyo Skytree in the sunset light. 夕暮れの東京スカイツリー / T.Kiya


実家は年老いた父と母のみ。
若者の会話はできません。

父と母は中卒なので、大学には進学しなくていい、高卒で充分だと言っていました。
父は65歳のとき借金して戸建を建てたので、お金がないのは知っていました。
国公立大であれば進学してよいが、親は学費を出さない、と言われました。

部活を終え17:00に帰宅し、ご飯を食べ単語帳を持ち込んでお風呂に入ります。
勉強は2:00までやります。
終わらないときは朝5:00に起きてまた勉強します。

通学中も問題集をやります。

勉強しすぎと思われるでしょうが、当時はこれくらいやらないと授業についていけなかったのです。
私だけでなく、学校全体がこういう感じでした。

父母は年寄りなので、食事もあっさりしたものです。
おひたし、佃煮、煮豆、納豆、これはレギュラーメンバーです。
母は肉が嫌いで、ほぼ毎日魚がちょこっと出ました。
いつもお腹が空いていましたが、買い食いすると怒られるので食べませんでした。

友達の家でごちそうになることもなかったので、これが普通だと思っていました。
(発病後の血液検査で「栄養失調」と言われて初めて知りました)


あじ干物 / yskfj


高校2年の夏休みから、「何かおかしいな…」と感じ始めました。
それでも怠けたら学校でもでも更に居場所がなくなると思い、常に全力で過ごしていました。
数学だけ個別指導塾に通ったり、
「若いうちにいろんなことに挑戦したい」と思い、クラシックギターを習い始めました。

クラスの皆は学校裏サイトや恋愛、ディズニーランド、ハリーポッター、NANAに夢中でしたが、
私はあまり興味がなく話題にもついていけませんでした。

学校帰りに駅ビルの本屋に寄るのが好きでした。
そして、「うつ病チェック」の本を自然と読むようになっていました。
そんな中、2年生の冬休みを迎えます。




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