19歳で精神科に3ヶ月入院した話(7)

退院してから世の中を見ると、何となく違って見えます。
何をするのもありがたく感じます。
ご飯が食べれる、お風呂に入れる、自由に出かけられる、など、
健常者には当たり前かもしれませんが、すごく感動して身震いがするほどです。
その点では、入院して良かったのだと思います。
病気でも、生きているだけでいいのだ。
生きているだけでも充分幸せなことなのだ、と思いました。

Oちゃんにはがきを出しましたが、看護師のIさんの話だと長期入院が法律で禁止されて、
Oちゃんは他の病院に移ったそうです。
また3ヶ月したら戻ってくるだろう、ということでした。
だからはがきは届いていないのだそうです。

Iさんは、彼女と結婚するから頑張ってお金貯める、と言っていました。
M子さんは毎年年賀状をくれます。
カウンセラーに復帰して、仕事も恋愛も頑張っているようです。

N美ちゃんともメールをやりとりして、今でも付き合いがあります。
結婚してお子さんも産まれ、とても幸せそうです。

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入院して良かったのは、
携帯を没収されてFくんからのメールに依存しなくなったことです。
Fくん自体に悪気はないのでしょうが、「もうこの人はダメだ」と思ったので、
いつの間にか夢から覚めて、自分からFくんを振りました。

Fくんが今どうしているか知りません。
その後一度も、自分からは連絡しなかったからです。
間違えたふりをしてメールが来ましたが、嫌気がさし無視しました。
「Fくんの何が良かったのだろう?」と不思議です。
自分の頭の中で、病的な妄想だけが大きくなっていたようです。

退院して最初の日曜日に、近くの教会に行ってみました。
でも聖書の話もまったくわからず、賛美歌も歌えず、
寄付するお金もなかったので、一度きりで行かなくなりました。
でも、それより自分の中に軸がしっかりと立ったので、
キリスト教にかぶれる必要もなくなりました。

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精神科入院は、つらい思い出です。
毎日、早く退院したい、早く自由になりたい、と願っていました。
そして念願叶って退院できたとき、世界が違って見えました。
統合失調症でもいいじゃない、と思えました。

また、たとえ入院せずに通院治療していたとしても、
こんなに日々の生活のありがたさを感じたりしなかったでしょう。
3ヶ月ぐっと集中して休養したせいか、体にエネルギーが蓄えられたような気がしました。

それに、精神科病棟には変わった人はいるものの、
人を傷つけたり陰口を言ったり、誰かをいじめる人はいません。
そういう意味では、安心して休める環境でした。

M子さんが言っていたように、精神科入院を「人生の夏休み」と捉えるのもいいかと思います。
入院はデメリットだけではありません。
当時19歳の私には、親から離れること、一人になる空間が必要だったと思います。

秋が来て、金木犀が散り、ハロウィンの飾り付けを見ると感慨深くなります。
あの時の経験が、ちゃんと今に繋がっています。
人生において、無駄な経験なんて何もないのだと思いました。


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長い体験談になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
ちょうど10年前の話になりますので、入院生活も大分変わったかもしれません。

今現在、精神科に入院してつらい思いをされている方も多いかと思います。
ですが、かならず快復するのだと希望を持って欲しいです。
今は休むのが仕事なのです。

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タグ:ブログ 統合失調症 10代 退院 任意入院 精神科 日記

19歳で精神科に3ヶ月入院した話(6)

精神科病棟は、毎日ヒマです。
レース編みをしたり、読書をして過ごしました。
M子さんの影響で、食堂に置いてあった聖書を読み始めました。
読んでも内容がちんぷんかんぷんです。
でも、他に読むものがありません。

散歩以外も、電車やバスで外出許可が出たので、
本屋に行って雑誌を買ったり、化粧品を買ったりしました。
携帯・パソコンの持ち込みはダメです。

でも、あとから知ったことですが、早く退院したい人は、
積極的にレクリエーションや院内イベントに出て、コミュニケーションを取らないと
ダメみたいです。
レクリエーションも一回いくらとかかるし、楽しくないので遠慮していましたが、
もっとたくさん参加した方が良いようでした。

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仲良くなった友達の中では、一番先にN美ちゃんが退院しました。
N美ちゃんは、退院してもレクリエーションやデイケアに参加しに来ると言っていました。

その後すぐ、M子さんも退院です。
M子さんのお父さんが急病で、介護のために帰らないといけないということでした。
もともと心理士さんで、入院する必要がないくらいしっかりしていました。

M子さん退院の日、同じ病室の6人で最後の朝の散歩をしました。
「こうして皆と散歩するのも最後だね、やっと退院できる。長かったよ」と、
M子さんは泣いていました。
退院する前にM子さんが哲学の本をくれました。
M子さんが大学生の頃から読んでいて、気にいってる本だそうです。
手紙もくれました。
M子さんは、
「この病院で過ごした時間は、私にとって人生の夏休みだった。
でも、入院して良かった。絶対に無駄ではないよ」と言っていました。

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M子さんがいなくなって寂しいね、と病室で話しているうちに、
60代の女性も退院になりました。
このおばあさんも長いこと入院していたのだそうです。
退院の日にハンカチをくれました。
優しくて穏やかなおばあさんでした。

いよいよ、というかやっと、11月に私が退院できることになりました。
Oちゃんが寂しがってくれました。
最後にOちゃんとお風呂に入って、背中を流しっこしました。
Oちゃんは、
「私はもう親に捨てられたの。だから一生病院暮らし。
ときどきは私のこと思い出してね」と言って、笑っていました。

タグ:統合失調症 ブログ 入院 期間 退院 面会 長期

19歳で精神科に3ヶ月入院した話(5)

また、ある日食堂でのろのろと夕食を食べていると、
20代でしょうか、若い女性が泣きながら食堂に来ました。
過呼吸症候群の症状で息がゼーゼーしているので、看護師さんを呼んだり、
背中をさすったりしました。
女の子はやっと落ちついたようです。

翌日から、このN美ちゃんという子とも喋るようになりました。
N美ちゃんは現役のナースで、大病院で夜勤をやっているときに
過労でうつ病になってしまったそうです。
また、お母さんとの関係が悪化して、お見舞いもお父さんしか来ていませんでした。
家庭に問題があるのは私だけじゃないんだな、と思いました。

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かくいう私の実家も、両親ともほとんど見舞いに来ませんでした。
仕事があるし、遠かったから仕方ないとは思いますが、
「もしかしたら私もOちゃんのように、家族から見捨てられるのでは?」と
不安になることもありました。

また、認知症で入院しているお年寄りも多かったです。
もう介護な必要な方、寝たきりの方、たくさんいました。
お年寄りでも暴れてしまうため、手足を拘束していたり、
一日中大声で叫んでいる人もいました。

夜になると、皆テレホンカードを手に公衆電話に行列を作ります。
早く家に帰りたい、家でゆっくりしたい、外泊したい、退院したら働く、など話しました。
消灯時間まで看護師のIさんとおしゃべりをしました。
Iさんは「夜勤つらい、この仕事辞めたい」と言っていました。
私もFくんのことを相談しました。

タグ:統合失調症 ブログ 入院 退院 精神科 期間 患者

19歳で精神科に3ヶ月入院した話(4)

入院している間患者さんたちは暇なので、レクリエーションに出ます。
朝はラジオ体操から始まり、映画を観たり、陶芸をしたり、手芸をしたり、
いろいろなプログラムがありました。
アートセラピーというのもありましたが、何をやったのかあまり覚えていません。
ハンカチに絵を描いたような?うろ覚えです。
使ったクレヨンの色や、描いた形から自分の性格を知る、という感じでした。

お風呂は週に3回。
晩夏だったので、汗を流せず気持ちが悪かったです。
銭湯のように大きなお風呂に大勢で入りました。

驚いたのは、女性患者は結構美人さんが多かったのです。
いきなり泣き始めたり、独り言を言ったり、精神病特有の症状はあるのですが、
何でこんなところにいるのだろう?というくらい綺麗な人も何人かいました。
それでも、その美人さんは閉鎖病棟なのだそうです。

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閉鎖病棟の話は噂に聞いただけで、行ったことはありません。
一度入るとしばらく出られない、とか、
鍵がかけられて監獄のようなところだ、という話でした。
Oちゃんもずっと閉鎖病棟にいたそうです。
もう二度と行きたくないからいい子にしている、と言っていました。

私の方は、早く退院したかったので毎朝病院の周りをウォーキングしました。
田舎の方なので、朝は霧がかかっていたり、
広い畑やビニールハウスが連なるのどかなところでした。
室内にいると何もやることがないので、なるべく散歩しました。

そうしていると、同室のおばあさんやOちゃん、M子さんも参加するようになり、
部屋全員で朝晩散歩するのが日課になっていきました。
だんだん皆、お互いの病気の話をして仲良くなりました。

皆、まったく自由のない入院生活から早く解放されて、
自宅に帰りたいのです。
だから、「健康なふり」をしている部分もありました。
積極的に他の患者さんとおしゃべりしたり、レクリエーションに出たり、
医師や看護師さんに回復したことをアピールする人がほとんどでした。

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開放病棟とは言え、何もやることもなく、ベッドに横になって天井を見つめる毎日。
人間らしい、「あれがしたい」「これがしたい」という欲がなくなっていくようでした。
諦めにも似た気持ちで、何もできないことに絶望していました。

退院できるのだろうか?
退院したところで、何をすればいい?
一生こんな病気なの?
つい最近まで、女子高生だったのに、学校に行っていたのに、
私はこんなところで何をやっているの?
同級生は皆大学に行っているのに?
私は頭がおかしくなってしまったの?

楽しいことが何もない毎日でした。
何より、充実感が持てないのです。
こんな苦痛な毎日で、本当に病気は良くなるのかわかりませんでした。

入院患者さんの中には、人格荒廃してしまっている人もたくさんいます。
そういう人たちと一緒にいると、自分までおかしくなりそうでした。

タグ:統合失調症 入院 ブログ 10代 闘病記 主婦 期間

19歳で精神科に3ヶ月入院した話(3)

入院した病院では、最初保護室に入りました。
ナースセンターの隣にある部屋で、監視カメラがついています。
もう一人、意識混迷の女性患者さんと2人でした。
トイレはおまるでします。
ベッド以外とおまる以外、何もない部屋です。

思春期ということで、おまるはやめてトイレに行かせてもらえるようになりました。
食事も保護室に運ばれ、トイレ以外で部屋から出ることはありません。
一週間くらい保護室にいました。

保護室では暇だったので、食堂にあったファッション誌を持ってきてもらって読んでいました。
男性の看護師さんで、Iさんという人とよく会話しました。
Iさんは夜勤だったので、話す時間が多かったからです。


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また、ナースセンターの女性看護師さんたちとも仲良くなりました。
「看護師さんになりたいなぁ~」というと、
私の頭にナースキャップを被せて、チェキを撮ってくれました。
看護学校の女子生徒さんたちとは同世代なので、女子トークしました。
同い年の女の子なのに、私は精神科に入院。
みんなは看護師の卵として勉強やバイトなど青春真っ盛りです。
自分と比較してつらくなることもありました。

恋愛の話も出て、Fくんのことを思い出さないでもなかったのですが、
本当に毎日まったく自由がなかったので、それどころではありませんでした。
むしろ、入院してこんなにつらい思いをするまで、Fくんに振り回されていたのだ、
自分がつらいばかりの恋愛なんて嫌だ、と思いました。

少しずつ保護室から出る許可がおりて、
食堂で大勢の人と一緒に食事をするようになりました。
そうなると精神科病院独特の困ったことがあって、
20~30代の男性患者さん数名が食事に誘ってきたり、いろいろうるさいのです。

私にだけ言っているのではなく、若い女性には見境なく全員声をかけているのです。
保護室の前で「さくらさ~~ん!出てきてくださ~~い!」と叫ぶ男性患者さんもいて、
下手に断ると何をされるかわからず怖かったです。

保護室にいるもう一人の意識混迷の女性は、会話もほとんどできない状態で、
一日中暴れていたため、拘束されていました。
すごく気の毒に思い、私ももし病気の発見が遅かったら、
こんな風に悪化していたのかもしれない、と思いました。

一日中、女性が泣きわめいているので、看護師さんたちが交代でなだめています。
本人が一番つらいのだろうけど、看護師さんも大変だと思いました。
食堂に行くと、精神病棟なのにお年寄りの患者さんが多くてびっくり。
意識もしっかりしている人もいましたが、高齢者の人はほとんど預けっぱなしで、
老人ホーム代わりになっている様子でした。

一週間して、経過良好ということで大部屋に移ることになりました。
もともとタクシーで行ったので、任意入院という扱いだったようです。
窮屈な毎日に飽きはじめて、入院させた親を恨む気持ちが強くなってきました。
でも、親は両親ともほとんど見舞いに来ません。

病院の様子がわかるにつれて、本当に退院できるのか、
入院したことで病気が良くなるのか、怖くなってきました。
患者さんはやはり重度の人も多く、
「自分もこんな風に狂ってしまうのだろうか?」
「私は一生ここに預けられたままなのではないだろうか?」
と、不安な毎日でした。


移動した大部屋は、女性6人の部屋でした。
60代くらいの老齢の方から、30代の方までいましたが、
私が一番若かったです(そりゃそうだ)。

一人の女性患者さん、Oちゃんという40代の人は、
こちらの病院の“主”と名乗っていました。
ご家族もOちゃんに帰って来てほしくない、世間体が悪い、ということで、
お金だけ送ってきて、預けっぱなしなのだそうです。
Oちゃんのご家族は誰も面会に来ず、必要な衣類や雑貨だけ送ってきます。

Oちゃんはたしかに精神病っぽい人でしたが、明るいし、人に危害を加えることはしません。
毎日わずかなお小遣いでおやつを買うのが楽しみで、
オフコースや安全地帯が好きみたいで、「この歌知ってる?」とよく歌ってくれました。

Oちゃん自身が、自分がおかしくなってしまったことをわかっていて、
家族に見捨てられたこと、もう恐らく退院も外出もできないこと、
一生結婚もできず、この病院で過ごすしかないということを話してくれて、
気の毒に思うし、Oちゃんの健気さや諦観した明るさを見て、強い人だと思いました。


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隣のベッドのM子さんは、心療内科のカウンセラーだったそうです。
カウンセラーさんでもうつ病で入院するんだ!とビックリしました。
バブル世代に、ジュリアナ東京でお立ち台に上がった話をしてくれました。

M子さんは一家そろってクリスチャンで、
考え方に一本芯が通ってるというか、信念があるというか、
何かを信仰している人特有の、安定感がありました。

M子さんのご家庭、旦那さんなどもいろいろあったようですが、
ご本人はいつも女性らしく、可愛らしい方でした。
当然、男性患者さんの猛アタックを受けて悩んでいました。

当時の私は子供すぎてM子さんの事情を理解することができなかったのですが、
たくさんのトラブルを抱えていて、一番つらい時期だったようです。


(続く)

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19歳で精神科に3ヶ月入院した話(2)

母とはほとんど毎日喧嘩でした。
母は怒ると、私の髪の毛を引っ張り父の前でパンツを下ろしたりします。
階段から突き落とされたことも。
もう18、9なので、抵抗しようとすればできますが、泣くしかありませんでした。
Fくんの話や、携帯を見た・見てない、日記を見た・見てない…などで、
毎日喧嘩ばかりで疲れてしまいました。

母は神経質になり、私がテレビで恋愛ドラマを見ているだけで怒鳴るようになりました。
好きだったJ‐POPを聞いていると、
「アンタもその歌のように男と遊びたいんだろう」と言われました。

「私の考えを読まれている」
「メールや手紙、日記をすべて見られている」
と、病的な被害妄想がどんどん強くなっていきました。
実際に携帯を見ている証拠もあるのです。
既読になっているし、隠しておいた漫画も向きが変わっているからです。
でも母は、主治医には「私は勝手に見ていない」「さくらの被害妄想だ」というので、
自分の主張に自信が持てなくなりました。

客観的事実として、メールは既読になっているのですが、
母は通院同行で「見てない」と言います。
自分の考えと、事実との境界があやふやになっていきました。
本当に既読になっているのかも自信が持てないのです。
メールの着信音が鳴ると、母が「ほらFくんだよ~」と冷やかすので、
恥ずかしいし、やっぱり見られているのかな?と怖くなります。


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ある日希死念慮に襲われ、家にあった薬でODしてしまいました。
致死量にはほど遠かったようですが、意識が朦朧として、
「死んでやる!」と叫んで包丁を振り回していたそうです。
母は、「死ぬならお母さんを殺してからにしなさい!」と言いました。
父はまったくの無関心で、仕事に使う小銭を数えて、
「うるさい!黙れ!明日仕事なんだ!」と言いました。

私だけでなく、母も一人での看病に疲れていたのだと思います。
ODと刃物のことをクリニックに電話して、任意入院することにしました。
タクシーで、紹介された郊外の精神科病院に向かいます。
その日から、約3ヶ月の入院することになりました。



(続く)

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19歳で精神科に3ヶ月入院した話(1)

今日からまた、何回かに分けて私の統合失調症体験をお話したいと思います。
個人的な闘病記、体験記になってしまいますが、
何かの参考になれば、私も嬉しいです。

※長いので7回に分けて、毎週日曜日に更新します※

発病は高校2年、17歳(正式には16歳、あと一ヶ月くらいで17のころ)でした。
高校は何とか単位をとって卒業までこぎつけましたが、
大学に行くことはできませんでした。

経済的事情もあり、また学力が低下して受験どころではなかったため、
卒業後は精神科クリニックのデイケアに通っていました。

精神科に入院したのは19歳のときです。
この頃の話をするのに、まずFくんという当時のメル友のことから始めたいと思います。


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Fくんは、中学の時の同級生で私の初恋の人でした。
クラスでは地味で、オタクっぽくてあまり女子人気はありませんでした。
部活も卓球部で、ガンダムやエヴァンゲリオンが好き、
家では3時まで夜更かししてプラモデルを作るという、非モテ男子でした。

何で好きになってしまったのか、自分でもわかりませんが、
自分自身の自己評価の低さから、人気の男子を好きになるのが怖かったのだと思います。

中学3年間思い続けるも、何もアクション起こさず、卒業。
Fくんがどこの高校へ行ったかもわからず、高校3年間更に思い続けます。

高校の間は、Fくんと会うことすらなかったのですが、
勉強ノイローゼと家庭内不和、高校でのいじめで精神的に参っていたため、
Fくんのことを想像して心の支えにしていました。
今考えれば、病的、ストーカー的な妄想だと思います。

さて、高校もFくんとは何もなく、卒業後に諦めきれず手紙を書くことにしました。
卒業アルバムで住所だけは知っていたからです。
「初恋のFくんに手紙を書いていいか」と母親にたずね、
母も困惑していましたが、そういうことなら、とOKをもらいました。

手紙にメールアドレスを書いて、返信を待つも連絡は一切来ません。
フラれたのか、届いているのかさえわかりません。
当時の私は発病間もなく、思考回路が変だったので、
Fくんの家にいきなり電話を掛けてしまいました。

Fくんは、女子とほとんど話したことがないので、
どうしたらいいかわからなかった、と言っていました。
その後、メールを送ってもらってやりとりが始まりました。

でも、「付き合ってるわけじゃないから」「好きじゃない」など、
彼女というわけではなく、ただのメル友でした。
私は他に友人もおらず、家族とデイケア以外にはFくんしか知り合いがいなかったため、
依存気味になっていました。

メールも放置気味でしたが、
統合失調症になったばかりの私には、これがきつかったのです。
彼女ではないので、束縛する権利もありません。

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母親がFくんとの関係を過剰に心配していたようで、
勝手に携帯を見るようになりました。

母が私の携帯を見ていたのは、新着メールが読まれて既読になっていたことから、
統合失調症的な妄想ではなく、事実なんだと思います。
携帯にロックをかけたら、「隠し事しないで」と怒られました。
自分の部屋に携帯を持ち込むのも禁止、
必ずリビングの携帯専用の置き場所に置くよう義務付けられました。

だんだん、Fくんの態度に振り回されるようになり、
自分でも一喜一憂して病気に良くないなと思いました。
デイケアやクリニックの先生には、Fくんの話は相談していません。


(続く)

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